阿島獅子について

 長野県喬木村阿島地区に1769年(明和6年)から伝わるとされる全長約20mの担ぎ獅子。
五穀豊穣などを祈り、毎年4月に地元の八幡宮と安養寺を結んで開かれる神仏混淆の祭り「阿島祭り」では、竹で組んだ胴体を若者が担いで地区内を練り歩く。

 道中や祝儀を頂戴した家の門口で舞う「練り込み」、静かで最も格式の高い「初撲」、囃子に合わせて激しく暴れ回る「嵐山」の3つの舞を披露する。
その勇壮な舞から『暴れ獅子』の異名を持つ。
阿島獅子の動作は静と動に分かれ、舞の前半を「里」、後半を「山」と呼ぶ二つの型の組み合わせから成り立っている。

阿島祭りの歴史

阿島毘沙門天祭りは平安の初期、毘沙門天を小川鞍馬地籍に安置したことにより始まる、と伝えられる。

鎌倉時代の中期に毘沙門天が阿島安養寺の脇本尊として現在地に移されてより、毘沙門天の法要会にお参りする人々で賑わい、更に室町時代に至り、阿島八幡宮と小園姫宮の神輿も安養寺へ渡御されるようになり、毘沙門天様のお祭りとして盛大に行われるようになった。江戸時代に知久氏が館を阿島に築いてから、知久氏は祭り奉行を立てるなどして祭りは一層賑やかなものとなった。

獅子舞、囃子屋台の出現は江戸時代になってからのものと思われる。
1769年(明和6年)の記録に「二月朔日里原若者祭礼ニ始メテ獅子引」とあり、1773年(安永2年)には大きな幌を作ったとの記録があるため、この時に巨大化したとされる。

明治維新後、神仏混淆禁止令が出されたが、永い間民族的信仰に培われた毘沙門天祭りの行事を省略することを民情が許さず、八幡宮の祭典と毘沙門天の大般若法要会を一緒に行うことにしており、近在にも稀な神仏混淆の祭りが今も続けられている。

昨今の担い手不足に伴い、2018年より獅子舞のリーダー的役割を担う「年長」の年齢上限を引き上げ、阿島獅子の歴史上初となる女性の参加も認められた。
後にコロナ禍となり2020年から2022年の3年間は祭りは開催されなかった。
2024年からは村内阿島区外の地区からの参加も可能となる。

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阿島祭り詳細

◆阿島祭り
日時:毎年4月第1週/土日開催
場所:喬木村阿島地区内
備考:安養寺境内着14:45頃 雨天決行

◆第11回南信州獅子舞フェスティバル
日時:平成30年10月21日(日)9:30〜15:30
場所:飯田駅前 中央通り

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